はじめに

 土木工学科のこれまでの歩みを、『九州大学百年史』の記述を元に紹介します。なお、講座(研究室)などの名称は、当時のものを表しています。
 『九州大学百年史』では、土木系の情報は、「第5巻:部局史編 II」の「第14編 工学府・工学部・工学研究院」「第2章 地球環境系学科」に記載されています。

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1.総 説  2.学科・専攻の変遷  3.教育・研究活動について  4.卒業生の活躍・同窓会


1.総 説

 土木工学科は、1911(明治44)年1月、工科大学の創設とともに発足したもので、帝大の中では東京、京都に次いで第3番目の創設である。当初、鉄道工学・橋梁工学・河海工学の3講座から成っていたが、大正期の前半までには3つの講座が増設された。大正期には、近代産業国家の礎たる鉄道網や近代港湾の形成に多くの卒業生が活躍した。また、昭和初期には、河川改修、ダム建設、トンネル建設、地下鉄建設、水道敷設、港湾建設などの諸分野に活躍の場が拡大するとともに、多くの優れた学者・教育者が輩出した。
 1963(昭和38)年には、水工土木学科が設置されるとともに、土木工学科と講座の再編が行われ、1966年までには両学科あわせて12の講座から構成されるようになった。高度経済成長期には、若戸大橋を皮切りに、天草五橋、関門橋と本格的な海峡架橋時代が到来するとともに、東海道新幹線、名神高速道路や東名高速道路の開通など、大量輸送時代の幕が開けた。
 高度経済成長の一方で、土地利用の著しい変化や、九州地方の地理的条件を踏まえ、自然災害における諸現象の究明と防御技術の進歩が望まれた。1964年2月に九州大学土木系学科拡充募金委員会を設置し、7000万円を超える募金を集め、土石流実験装置や河川・海岸水理模型実験装置などを含む自然災害実験棟が1969年9月に完成した。
 1970~90年代には山陽・東北・上越新幹線、青函トンネル、本州・四国連絡橋、関西国際空港、東京湾横断道路(アクアライン)などビッグプロジェクトが続き、卒業生の活躍の場がさらに拡大した。
 1993(平成5)年に、土木工学科および水工土木学科は建設都市工学科となった。この頃になると、土木界にもバブル崩壊の影響が及ぶとともに、北海道南西沖地震や阪神・淡路大震災の発生などにより土木技術者を取り巻く環境は変化し、安全な国土、環境の保全への対応が求められるようになった。
 1998年には、工学部再編に伴い、建設都市工学科・資源工学科・船舶海洋システム工学科が地球環境工学科へと統合され、建設都市工学コースとなった。また、大学院重点化に伴い、建設システム工学専攻・都市環境システム工学専攻・海洋システム工学専攻・環境システム科学研究センターを合わせ、15の講座から成る研究・教育体制となった。新幹線福岡トンネルコンクリート落下事故など、構造物の老朽化への対策が求められ始めるとともに、1999年の福岡都市圏の水害や2005年の福岡県西方沖地震などを機に、都市型の災害への対応も求められるようになった。
 2007年3月には、箱崎キャンパスから伊都キャンパスへの移転が完了した。土木系学科では、教員は建設デザイン部門(のちに、社会基盤部門)、環境都市部門(のちに、環境社会部門)に所属し、ウエスト2号館に教員室および学生研究室を構えるとともに、別棟として3つの実験棟を有し、17の研究・教育分野にまで拡大している。
 2010年には、文部科学省の国際化拠点整備事業によりグローバルコースが設置された。英語による授業のみで学位取得できる環境が整い、優秀な留学生の獲得、国際的に活躍できる人材の養成にも力を入れている。
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、約1万9000人の死者・行方不明者を出す未曾有の大震災となった。土木系教室においても震災調査や復旧・復興支援などに多くの教職員が関係し、各学会の調査団メンバーとして調査に出向いたほか、有志教職員により教室内に特別委員会を設置し、調査報告会や市民フォーラムを実施した。
 2011年の九州大学創立百周年とともに、土木系教室も創立百周年を迎えた。また、2012年には、土木系同窓会である壬子会も百周年を迎え、各種の記念行事が行われることとなった。
 2021年には、工学部の再編に伴い、土木工学科・土木工学専攻に名称が変更された。

 

2.学科・専攻の変遷

九州帝国大学の創設 〜 新制 九州大学の発足

 土木工学科の創設当初は、土木工学第一講座(鉄道工学)、同第二講座(橋梁工学)、同第三講座(河海工学)の3講座から成っていたが、1913(大正2)年に同第四講座(衛生工学)、1917年に同第五講座(土木材料及施工法)、1919年に同第六講座(構造力学)が増設された。
 戦後、1949(昭和24)年に学制改革により新制大学が発足し、また、1953年には大学院工学研究科に土木工学専攻(修士課程定員13名・博士後期課程定員7名)が開設された。大正期からしばらくは6講座での体制であったが、1962年に土木工学第七講座(道路工学)が増設された。

水工土木学科の設置

 1963年に、工学部第17番目の学科として水工土木学科(定員40名)が設置された。当時、日本は戦後の復興期から高度経済成長期への途上にあり、水資源の確保、上下水道の整備、水域汚染の防止、河川や海浜の開発利用などが問題となっており、こうした問題に対応する教育・研究を行う水工土木学科は、他に例を見ない特色ある学科であった。土木工学科の第四講座(衛生工学)が水工土木学科の第五講座(上水工学及び水資源)に振り替えられることによって発足し、1964年から1966年までに水工土木第一講座(応用水理学)、同第二講座(土質工学)、同第三講座(河川工学)、同第四講座(海岸工学)、同第六講座(下水工学)が設置された。また、大学院工学研究科に水工土木学専攻が1967年に開設された(修士課程定員13名・博士後期課程定員6名)。
 また、水工土木学科の新設に伴い、土木工学科の講座は、土木工学第一(構造力学)、同第二(橋梁工学)、同第三(河海工学)、同第四(土木施工法及びコンクリート工学)、同第五(鉄道工学)、同第六(道路工学)に変更された。その後、1967年に土木工学第三講座(河海工学)は同第三講座(土木構造学)に名称変更された。
 1988年には、工学部附属環境システム工学研究センター(1998年に工学部附属環境システム科学研究センターに改組)が設立され、地盤環境システム工学部門・環境制御システム工学部門の2部門が設置された。大学院の専攻は前者が水工土木学専攻、後者が土木工学専攻であった。

建設都市工学科

 1993(平成5)年に、土木工学科および水工土木学科は建設都市工学科となった。この際、講座の構成は、構造解析学、建設設計工学、建設振動工学、建設材料システム工学、交通システム工学、都市システム計画学、環境流体力学、地盤工学、流域システム工学、沿岸海岸工学、都市水圏システム工学、都市環境工学となった。
 1997年には土木工学専攻が建設システム工学専攻へ、水工土木学専攻が都市システム工学専攻へと名称変更された。1998年には、大学院重点化計画に基づき、旧船舶海洋システム専攻を合わせた改組により、土木系は建設システム工学専攻・都市環境システム工学専攻・海洋システム専攻の3専攻体制となった。講座は大講座制となり、建設システム工学専攻の建設設計工学講座・建設材料工学講座・防災地盤工学講座、都市環境システム工学専攻の環境デザイン工学講座・都市システム計画学講座・都市環境工学講座、海洋システム工学専攻の沿岸海洋工学講座、工学部附属環境システム科学研究センターの環境制御研究分野・地圏環境研究分野・水圏環境研究分野という体制となった。

地球環境工学科 建設都市工学コース

 同時に、1998年には工学部再編に伴い、資源工学科・船舶海洋システム工学科とともに地球環境工学科に統合し、建設都市工学コースとなった。地球環境工学科は定員150名として入学試験が行われ、入学してから1年後に学生の希望により3つのコースに分かれる。建設都市工学コースでは80名を受け入れている。
 さらに、2000年4月の組織改革に伴い、教員組織が大学院工学研究院の建設デザイン部門・環境都市部門の2部門に改組された。大学院生は工学府の建設システム工学専攻・都市環境システム工学専攻・海洋システム工学専攻の所属のままとなった。建設デザイン部門には構造および地震工学講座・環境設計材料工学講座・地盤学講座の3講座が、環境都市部門には都市システム工学講座・都市環境学講座・沿岸域環境学講座・環境システム学講座の4講座があり、土木系として7つの大講座、15の小講座の体制で運営されている。

 

3.教育・研究活動について

教 育

 学部教育については、1911(明治44)年に東京帝国大学・京都帝国大学についで3番目となる土木工学科創設から現在まで、工学の基礎である数学、力学などをはじめとして、土木工学の基礎科目である構造力学・土質力学・水理学のいわゆる「3力」科目を中心に、コンクリート工学、衛生工学、計画学、交通工学、河川工学、海岸工学、上下水道学などの応用的な科目により構成されてきた。1963(昭和38)年に水工土木学科が設置されると、土木工学科では土木工学分野のものづくりに関連した科目を中心とした教育を、水工土木学科は水工学分野に重点を置いた教育を行ったが、「3力」科目や重要な応用科目については両学科で共通に教育された。土木工学は国民生活の基盤となる公共的な社会インフラである道路・港湾・空港・ダムなどの整備をになうことを目的とし、水工土木学は都市の発展に伴い発生した公害や公衆衛生への対応から治水、海岸整備、水資源確保などの自然の制御を課題としていた。これらの問題解決のための高度な土木技術者を両学科は多数輩出してきた。1911年の創設時における入学者数は15名であったが、土木工学科・水工土木工学科の2学科時代はそれぞれ40名ずつの入学定員、建設都市工学科となってからは80名となり、現在の地球環境工学科建設都市工学コースまで続いている。
 1953年に大学院工学研究科が9専攻の体制で設置され、土木工学専攻もその1つとして生まれた。その後、1967年には水工土木学専攻が増設され、大学院についても土木系2組織体制が始まった。各専攻の定員は、修士課程が両専攻とも13名ずつ、博士後期課程が土木工学専攻7名、水工土木学専攻6名であった。大学院教育は、小講座制の影響を強く受けた科目配置となっており、各講座の専門についての特論と演習の組み合わせが提供されていた。博士後期課程では、各専攻の小講座数と協力講座数により土木工学第一~第七、ならびに水工土木学第一~第八がそれぞれ行われていた。
 1993(平成5)年に土木工学科と水工土木学科は建設都市工学科に統合され、土木系の教育は一本化されたが、学科名から「土木」が消えることになった。同様に、1998年には、大学院重点化に伴い土木工学専攻と水工土木学専攻に、船舶海洋システム工学専攻を加えて再編が行われ、建設システム工学専攻・都市環境システム工学専攻・海洋システム工学専攻の3専攻が立ち上がったが、ここで「土木」の文字が九大の組織から完全に消えることになった。
 土木系教室における国際化教育は、各講座単位での国際共同研究や国際会議での研究発表などは多数行われてきたが、2009年に文部科学省が開始したグローバル30プロジェクトの一環として学部グローバルコースを立ち上げた。このプログラムは、英語のみを用いた教育プログラムであり、通常の日本語コースと同様のカリキュラムを提供し卒業時に学士を授与するものである。学生定員は、工学部の他3コースと合わせて20名であり、第1期生が入学した2010年秋以降、発展途上にあるアジア諸国のみならず欧米からの学生が毎年入学している。また、2011年からは、大学院工学府修士課程と博士後期課程においても英語のみで学位取得可能なグローバルコースを開始し、毎年数名の入学者を得ている。一方で、土木系教室が参画した地球環境工学系専攻群による博士後期課程の英語教育プログラムである国際環境システム工学特別コースが2002年から導入され、多数の外国人留学生に博士号を授与している。さらに、2010年秋からは、スウェーデンのルンド大学とのダブルディグリープログラムが開始された。同プログラムは、修士課程において九大とルンド大にそれぞれ1年半ずつ滞在し、3年間で両方の大学から修士号をそれぞれ授与されるものである。相互に学生を派遣し、土木系教室における国際的な人材育成に寄与している。

研 究

 1911(明治44)年に設置された土木工学科の6講座は、土木工学技術の研究を通して、日本の社会資本の整備、災害復旧、経済進展に大きく貢献してきた。また、経済発展に伴う多様な環境問題、様々な自然災害防止の研究を行うため、1963(昭和38)年には新たに6講座からなる水工土木工学科が設立された。つづいて1988年には、工学部に環境システム工学研究センター(環境システムセンター)が設立され、新たに2講座が加わった。さらに、2012(平成24)年に設立された東アジア環境研究機構には環境システムセンターが参画、また全学組織の西部地区自然災害資料センターにも土木系教室が積極的に関わり、防災技術の研究や社会連携に貢献している。以下は各講座の研究概要である。
 構造工学講座(構造および地震工学講座)では、構造物の設計や構造解析、合理的設計、耐震化の理論的解析を行い、構造物の設計に関する書籍を出版してきた。さらに、最先端の数値解析技術を駆使し構造物の挙動を詳細に再現し、自然災害に対する防災・減災の研究や劣化損傷した構造物の耐荷性評価へ応用するなど、研究成果を発信している。
 橋梁工学講座(環境デザイン工学講座)では、橋梁をはじめとする社会基盤構造物の安全性や耐久性の向上をめざし、構造材料の開発や設計に関する基礎研究、住民参加による街づくり活動などを行っている。他方、今日的な問題となっている橋梁をはじめとする既設構造物の老朽化対策の研究を行っている。
 土木構造学講座(構造および地震工学)では、橋梁・地中構造物の耐震設計手法の確立と高度化、耐震・免震設計法の開発、数値解析による地震時防災対策の検討などを行っている。1971(昭和46)年に一軸の大型振動台が設置され、2008(平成20)年には二軸振動台を導入し、実験・解析の両面から施設の地震時安全性を解明してきた。2005年福岡県西方沖地震の被災地に地震被害調査団を組織し、被害状況の実態解明に貢献している。
 土木施工法及びコンクリート工学講座(環境設計材料工学講座)では、コンクリートの配合理論、施工法、力学的性質、耐久性などを研究している。同講座の実験室は1917(大正6)年に国内で初めて作られたものである。戦後の復興期には、配合設計方法、疲労強度、九州特有のボタ地盤や温泉土壌での硫酸塩劣化などを研究し、技術の普及に貢献した。水中疲労強度の設計式は現在も土木学会標準示方書に採用されている。近年では、各種副産物を利用した環境調和型コンクリート開発、構造物の劣化診断、補修・補強工法に関する研究などを行っている。
 鉄道工学講座(都市システム工学講座)では、鉄道土木技術すなわち、鉄道路盤、線路、トンネル建設、騒音防止や振動抑制などの研究を行ってきた。研究成果は、全国を網羅する鉄道網の整備に活かされ、日本の経済発展に多大な貢献をした。また、鉄道を含む様々な交通問題や都市計画に関わる研究を行い、地域づくりに貢献している。
 道路工学講座(都市システム工学講座)は、高度経済成長に伴う道路建設に貢献している。道路舗装や路盤・路床の特性などの研究が行われた。1980年代後半から、交通計画・都市計画などの土木計画の分野の研究に着手した。1993(平成5)年には講座名称を都市システム計画学と改め、1994年の都市計画学会九州支部の設立をはじめとして、九州の都市・地域計画に貢献している。主な研究分野は、道路網、自動車交通流、駐車・駐輪問題、歩行空間、土地利用、地域活性化、地域計画などである。
 一方、水工系の主な研究成果や研究課題は以下のようである。応用水理学講座(沿岸域環境学講座)は、土砂水理と乱流や密度流現象などの基礎水理学の研究を始めとし、1980年代の環境水理学の黎明期から現在まで水域の水質変化を予測する移流拡散モデル、移流分散係数の評価法、実水域における水環境改善技術などの開発を行ってきた。また、2000年代には有明海疲弊の原因究明のための現地観測や水工学分野における地球温暖化への適応策など、環境水理学の発展に寄与している。
 土質工学講座(地盤学講座)は土質・地盤工学を専門として1953(昭和28)年に発足し、土の力学に関する基礎研究、地盤環境の保全、基礎工の高度化や地盤防災等の実用研究を行った。中でも「地盤の改良・補強技術」に関する研究は国内外で高く評価され、その成果は地盤の補強をテーマにした日本初の国際会議International Geotechnical Symposium on theory and practice of earth reinforcement (IS-Kyushu ’88)(1988年10月5~7日)に繋がり、当該分野の発展に大きく貢献した。さらに、地域生態資源を活かした砂漠化対処プロジェクトなどを通して、気候変動下における土地劣化の課題に取り組み、「地盤工学」から「地盤学」への新たな展開を図っている。
 河川工学講座(都市環境学講座)では、降雨流出・水文統計解析、水害・土石流災害の予測、情報理論の手法を適用した研究を行い、河川工学や防災工学の発展に貢献した。また、1991(平成3)年に発生した雲仙普賢岳噴火と土石流災害、2003年の九州豪雨災害発生に対して、研究グループによる調査を行うなど、自然災害科学分野で重要な役割を果たした。さらに河川環境の再生や川づくりにおける市民の合意形成、川内川激甚災害対策特別緊急事業や佐渡島トキ野生復帰プロジェクトを研究している。
 海岸工学講座(沿岸域環境学講座)では、沿岸域の防災・環境・利用等に関わる教育・研究を行っている。日本で最初の電子計算機による波浪推算法を開発し、昭和40年代には海岸・港湾構造物の設計等に広く利用された。その後、各種の海域制御構造物を開発し、フレア型護岸は越波低減効果と景観に優れた構造物として高く評価された。また、波浪と構造物との相互作用、海洋波の観測・解析・予測に関する研究、港湾・海岸構造物による飛沫・越波に関する研究等は国内外で高く評価された。
 上水工学及び水資源講座(環境システム学講座)では、水資源および上水道、地下水、水文学に関わる研究が行われた。高度経済成長期に地下水が多量に揚水され、地下水の塩水障害が報告されたのを機に、1965(昭和40)年前後より地下水流動の理論的解析や数値解析が行われた。1980年以降では、地下水質形成機構の研究が開始された。一方、日本各地で渇水が頻発したため、降雨の水文統計学的解析、降雨の発生機構などが研究されている。伊都キャンパスでは、「健全な水循環系の構築」を実践研究テーマとしている。
 下水工学講座(都市環境学講座)では、下水の処理技術の開発、都市域での雨水排水、汽水域に対する放流水の影響、底質や水域希少種への影響を研究している。博多湾や黄河流域の水管理、有明海や中国太湖の生物生息環境を再生する研究、また2001(平成13)年には戦略的創造研究推進事業(CREST)の下で「黄河流域の水利用・管理の高持続性化」の研究を行った。一連の研究代表者楠田哲也教授は、2005年に水環境工学分野での研究・教育業績が認められ、紫綬褒章を受章した。
 地盤環境システム工学講座(地盤学講座)では、地表から地下までの地圏の開発・利用のあり方、これらが自然環境・社会環境に及ぼす影響を総合的に評価する技術について研究を行ってきた。1990年代は、地盤沈下などの鉱害問題、不連続性岩盤の特性評価など岩盤や地下開発に取り組んだ。現在は、地理情報システム(GIS)を用いて、斜面の安定評価、佐賀平野の地盤沈下、防災ハザードマップの提案、高速道路の維持管理などのプロジェクトを展開している。
 環境制御システム工学講座(環境システム学講座)では、人間活動と環境問題の間の複雑な相互関係を分析し対応政策や技術に関する研究を行っている。社会資本整備に伴う環境負荷のLCA評価手法の先駆的開発、また廃棄物分野では埋立廃棄物の安定化機構を生物化学的・鉱物学的に評価する手法を日本で初めて開発した。さらに、焼却残渣の再資源化技術の開発、発展途上国での廃棄物埋立工法の開発、リモートセンシング技術による最終処分場管理、さらには持続可能な社会の実現に貢献している。
 防災地盤工学講座(地盤学講座)では、地震・豪雨・津波などに起因する液状化や土石流などの地盤災害の発生機構を実時間で評価するシステムや地盤災害リスク管理手法の構築などを研究し、地盤防災工学の新分野の確立を目指している。2005年福岡県西方沖地震をはじめ、台風災害、集中豪雨災害など、九州地域で発生した災害の調査、また、2011年東北地方太平洋沖地震の際には、災害調査や市民フォーラムを実施するなど、防災研究や啓発活動に貢献している。

 

4.卒業生の活躍・同窓会

 土木工学科は、1911(明治44)年1月、工科大学の創設とともに設置された。1914年(大正3)年6月、鈴木雅次をはじめ、12名の第1回卒業生を送り出した。第2次世界大戦前は1学年定員15名であったが、実際にはそれを下回る年もあった。戦後、1949(昭和24)年には新制国立大学が発足し、1953年にその第1回卒業生が送り出された。1963年に設置された水工土木学科からは1969年3月、第1回の卒業生として17名が卒業した。
 土木系学科の同窓会は、その創立の1912(明治45)年の干支にちなんで壬子会と名付けられた。名付け親は、1911年4月欧米から帰朝と同時に九大教授となり土木工学第三講座(河海工学)を担当した君島八郎教授と言われている。その頃の文人墨客は自分の作品に記入する年月日を一般に十干と十二支の組み合わせを採用する風習があったことから、文学に造詣が深かった君島が、発足の年の干支である「壬子」を会の名とした、とされている。
 現在、その会員総数は5100名を超え、官公界をはじめ、産業界・教育界など土木関係の各方面で活躍している。関東および関西に支部を有し、教室内に置く本部との連携を図っている。特に関東壬子会では、2か月に1回行われる例会はこれまでに130回を数えるなど、活動が活発である。また、両支部では毎年9月頃に行われる学部3年生の研修旅行での受け入れを行っている。これらに加え、各県単位・職場単位でグループが設けられたり、各卒業年での同窓会が開催されたりしている。
 壬子会では1968(昭和43)年・1969年の2度にわたり、50周年記念事業として九大奨学資金として900万円を寄付し、後輩育成の一助とした。この件については内閣総理大臣から褒状が贈られている。この奨学金は現在も経済的理由で就学が困難な学生に貸与されている。
 顕著な活動をした卒業生としては、まず、1914(大正3)年卒業の鈴木雅次が挙げられる。鈴木は卒業後、内務省に入省するとともに1930(昭和5)年からは日本大学工学部の創設に参画し、教授の職を兼任した。1945年に内務省を退官し、戦後は日大教授のほか政府の各種審議会委員、土木学会第32代会長等を歴任した。また、交通文化賞、藍綬褒章のほか、1968年には土木界初の文化勲章を受章した。
 1930年卒業の水野高明は、1943年に九州帝国大学教授となり、1963年工学部長、1965年教養部長を経て1967年11月に九州大学の第12代総長に就任した。当時は学生運動が全国的に活発化しており、その中で1968年6月2日に、建設途中の大型計算機センターに米軍ジェット機が墜落炎上し、これが一連の烈しい学内紛争の発端となった。このような中、研究・教育の場の健全な維持を念頭に置き、忍耐を持って学生に接し、一連の難局との闘いと正常化に尽力した。
 1941年卒の三野 定(みの さだむ)は、国際道路連盟(IRF)のマン・オブ・ザ・イヤー賞を1991(平成3)年に受賞した。この賞は、長年に亘る国内外での道路行政、特に高速道路の計画立案・整備推進への貢献などの幅広い活躍が評価されたものである。また、戦後の日本の道路事情の劣悪さを指摘したワトキンス調査団の報告書では「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない。」などの名訳を綴った。
 土木系学科卒業生の国会議員には、1928(昭和3)年卒の米田正文(参議院、参議院運輸常任委員長等)、1940年卒の古賀雷四郎(参議院、北海道沖縄開発庁長官等)、1949年卒の田原隆(衆議院、法務大臣・衆議院商工常任委員長等)、1962年卒の泉信也(参議院、国土交通副大臣・経済産業副大臣・国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣等)、1964年卒の渡辺具能(ともよし)(衆議院、国土交通副大臣等)がいる。
 2005(平成17)年には、1965(昭和40)年卒の楠田哲也名誉教授(2006年より北九州市立大学教授)が、紫綬褒章を受章した。楠田は、水域における水質・生態系修復、有明海や黄河などにおける環境改善技術、都市における水代謝などを専門としており、2010(平成22)年には西日本新聞社西日本文化賞を受賞した。
 壬子会は1972(昭和47)年に60周年を迎え、10月20日に西鉄グランドホテルにて壬子会60周年記念祝賀会が行われた。60周年を記念し、記念誌および写真誌が制作された。1985年12月2日には水工土木学科創設25周年の記念式典・特別講演会・記念祝賀会がとり行われるとともに、水工土木学科創立25周年誌が制作された。
 その後、壬子会は1992(平成4)年9月11日に80周年記念祝賀会を、2002年10月11日に90周年記念講演会および祝賀会を行った。80周年記念事業として、フルカラーの写真集が制作された。
 2012年に壬子会が100周年を迎えるにあたり、2008年に準備委員会を立ち上げ、「国土を造った土木~100年の功績とその将来~」「九州大学と壬子会~土木技術の県産とその発展~」をキャッチフレーズとし、講演会、シンポジウム、公開講座、スケッチ・写真コンテスト、見学ツアー、学内展示施設の整備、記念植樹、ホームページの整備、記念誌の作成などの実施事業についてその概要を取りまとめた。また、募金活動を開始した。2009年には準備委員会を発展解消し、壬子会百周年記念事業実行委員会を設立し、各ワーキンググループで企画の実施を行うこととした。
 学生の就職先としては、国家公務員、地方公務員、研究機関、公団系、電力、総合建設業、コンサルタント、重工、プラントメーカーなど、土木工学の性質上、多岐にわたっている。近年の傾向として、建設会社離れが続いていること、地元志向が強いこと、インターネットを通じて様々な業種に個々に自由に就職活動を行う傾向が強まっていること等が挙げられる。将来の国土と国民の安全・安心を守るため、学生が土木系学科で培った知識・技術をもとに、自ら活躍の場を見出してくれることが期待される。


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